うまげな話

オーディオと魚料理、さぬきうどんが好きな天邪鬼オヤジの日々

趣味としてのオーディオについて

以前から気になっていたことがある。僕のように衝動で無定見に機器の買い替えをして、音の変化に一喜一憂しているような人間はいわゆる音楽ファンから「音楽を聴くのが目的になってない」と蔑視されているのではないか?しかしこともあろうにオーディオ評論家のように機器の売り上げによって生計を立てている人の中にも機器の買い替えに一喜一憂するオーディオファンをバカにする傾向があるのも事実である。
楽器を弾かず、生演奏を聴かず、オーディオだけで音楽を聴いている人の音はひどいという論旨のことを標榜する評論家もいる。生演奏を聴いて「レコードと音が違う」「レコードのほうが音がいい」と言った人がいると笑いのネタにさえする人がいる。CDやレコードを大量に販売しながら、「生演奏でないとダメ」みたいなことを言う音楽家もいる。そう思うならCD販売しなければいいのに。音を楽しむから「音楽」なんであって、音楽の楽しみ方に優劣はつけてほしくない。自分の好きな音で楽しめばいいわけだから高尚な芸術論は不要です。オーディオは音楽を楽しむための手段に過ぎないといったような卑屈な気持ちでオーディオに取り組む必要もないと思う。オーディオそのものが趣味であってもいいと思います。音楽家にはレコードやCDの代金という対価を支払っていますから。
「音楽性」という言葉もあまり好きではありません。オーディオショップは機器の販売が仕事であるにもかかわらず、「音楽性」とか「芸術性」とかの美辞麗句を多用する店もありますが、どこか胡散臭いです。音楽家や音楽という芸術を妙に持ち上げる論理もいまひとつ好きになれません。ただでさえオーディオという趣味の分野は「オタク」のように世間から見られがちなのに、オーディオ業界あるいはオーディオを支えるべき業界までも文化人面して、オーディオマニアを批判する傾向がある。これではオーディオ人口も減るわけだ。