うまげな話

オーディオと魚料理、さぬきうどんが好きな天邪鬼オヤジの日々

今こそ国公立大学の存在意義を!!

MUJIさんのブログを読んで思うところがあった。

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子供が3人いれば、大学の学費が無料になるらしい。

最近は子育て支援とかで、教育費を無償にすることがすべて「善」のように

取り上げられる傾向が強い。

政治家も自分の金でもないのに、選挙目当てのバラマキに熱心だ。

子育て世代もこのようなバラマキを歓迎する人が多い気がする。

将来の国の財政状況を長期的に考えてほしいものだ。

子育て世代が高齢者になった時にこの国の高齢者福祉がどうなるか考えてほしい。

企業は自分たちが支出する人件費が安いままでも、国の子育て政策がダメだったという印象が広がると都合がいい。これまで以上に非正規雇用などを常態化させるだろう。

 

話がズレたが、大学が増えすぎて、真面目に勉強しなくても大学に入れる時代である。中学生レベルの学力しかない学生が多数の大学も多くあると聞く。(もちろん昔もそういった大学はあった気がするが、今はそういった大学の数が多すぎる気がする)

不祥事を起こす大学生も増えた、大学の数を減らすことが必要だと思う。

従って、教育費の無償化には反対と言わざるをえない。

そこで、国公立大学の存在が重要だと思う。

調べてみると1975年時点で、私立大学の授業料は国公立大学の約5、1倍程度だったようだ。その後そした、私立大学が政治家に陳情したのかどうか知らないが、

僕が学生だった1979年には2.3倍に、そして現在はおそらく2倍以下であると思う。

お金がなくても、真面目に勉強した者が大学に入れる方法を維持することが大事だと思う。そこで国公立大学の授業料を1975年レベルの私立大学の5分の1以下よりさらに下げて年に12万程度にすればいいと思う。

こうすることによって、地方の若者が都会に行ってしまって、流出人口が増えるという状況も少しはましになるのではないかと期待している。

バラまいて無料化することは決して国の将来を明るくするものではないと思う。

それと国公立大学はいつのころか「独立行政法人」となり、文科省の厳しい管理の下に置かれているようだ。文科省=政府の方針に異を唱えたりすると金がもらえないから、

昔の国公立大学のような自由で権力のおもねらない気風がなくなっている気がする。

「学問の自由」が尊重されない国の将来は危うい。